( 画像;アメリカンヴィレッジ ) |
【 沖縄本島 】 『 沖縄市/北谷町 』を見聞しましょう。 ◇沖縄市 旧;コザ市 人口;133,400人余は 沖縄本島の中部地域を代表する街です。 長い間、コザ市の名称で親しまれてきたが1974年に名称変更した。 ところが現在でも学校や銀行等ではコザを冠で使用している。 カタカナの「コザ:Koza」の呼称が身に染み付いている感である。 極東最大の米軍基地が張り付いている沖縄県において、沖縄市と周辺地域には基地機能の中枢部が集積している。 軍事基地の島沖縄を象徴する地区であり基地の街コザ/アメリカンなコザのイメージが相変わらず続いている。 1975年まで続いたベトナム戦争の時代には米軍人・軍属のみでなく東南アジアや諸外国から商いで訪れる人々が通りを闊歩する姿に溢れていた。 それこそ夜ともなればネオンライトが明けがたまで賑やかに射し続ける街であった。 ミュージック・ボックスやライブ・バンドが轟く日常でした。 ※コザの若者達 当時、世界の若者達をリードしていたアメリカ発のニューファッションが通りを飾った。 地元の若者達はそのファッションコーディネートを習得して新宿の街(東京)へ注ぎ込んだりした。 それが人気を博して「最新流行の走りはコザから」と謳われ、東京の業界やメディアの注目をひいた時もありました。 若者達は祖国復帰運動を重ねながらも、先進的な音や色柄などを吸収する事に貪欲であったのである。 コザの街から生まれたロックバンド「紫」などは米本国や東京のミュージックチャートで話題になりました。 現代沖縄音楽にはコザリズムの鼓動が響いてるとも云われる。 コザは異文化の溶け合っている街である。 住民達が今日でも米軍ベースと関わり合いながら日常性を保っている実態は数十年間も米軍を身近にしながらの暮らしですから至極当然の姿です。 ◇北谷町 (ちゃたん) 人口;27,000人余は 沖縄市と隣接する基地依存経済の町です。 軍用嘉手納飛行場、キャンプ桑江やキャンプ瑞慶覧のベースがあります。 それらの米軍基地が町の平坦地の殆どを占めていて民間住宅は傾斜や起伏地に立地している。 道路網の整備・改善を図るうえで広大な基地が障害になっている。 他方、基地に依存しないと生活維持に困窮する人々も少なくない。 現代沖縄県の「悩みどころ」が端的に露出している。 ※明るい兆しも見えてきた 近年になって、返還された軍用地の跡利用計画で「アメリカン風ヴィレッジ」をコンセプトにした再開発が竣工された。 その場所が時とともに賑わいを見せている。 先だって、沖縄映画祭が開催されて好評でした。 基地の街は基地経済からの脱却を図らんと試みるも多重な困難性を伴っているのが現状である。 住民達は住みよいコミュニティの醸成に懸命である! |
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◇沖縄市の素顔 | ◇北谷町の新顔 |
沖縄市,北谷町 |