美ら島沖縄
     ( 画像;オオゴマダラ )
オオゴマダラ
【 美ら島沖縄 】
『 沖縄本島 』を散策しましょう。

〓沖縄県の圏域〓
沖縄県は東西→約1,000km、南北→約400kmの広大な圏域。
49の有人島と111の無人島及び岩礁が点在する島嶼である。
(0.01km²以上の面積を有する島及び岩礁をカウント)
有人島では
北端→伊平屋島、南端→波照間島 東端→北大東島、
西端→与那国島が位置する。
波照間島は
有人島での日本最南端与那国島は日本最西端である。

群島構成
北東から南西方向に島々が点在してのびる。
それらは次の六区分の囲みで呼称される。
①沖縄本島 ②沖縄本島周辺諸島 ③大東諸島 ④宮古諸島
⑤八重山諸島 ⑥尖閣諸島  ※参照 沖縄県圏域概図

〓沖縄本島の地域区分と帰属市町村〓
沖縄本島は三区分されて呼称される。
①南部地域 ②中部地域 ③北部地域

南部地域と帰属市町村
那覇市 豊見城市 糸満市 南城市 与那原町 南風原町
八重瀬町の4市・3町がある。
南部地域総面積197km²、人口約53万人
通常「南部地域」と呼ぶ場合は那覇市を除いて指す。
別称で島尻(しまじり)地区とも云う。

この地域には県都:那覇市がある。
第二次世界大戦で日本軍は首里城に軍司令部を置いた。
沖縄本島に上陸したアメリカ軍は凄まじい砲撃と空襲を加えな
がら首里城方面へ進攻した。
首里城は壮絶な地上戦での戦火を受けて灰と化した。
戦闘は那覇市街地の九割を焼失させて壊滅状態にした。
一般市民も防衛隊を組織して日本軍と共に戦闘に参加し、
多くの命を落とした。焼け野ヶ原にされた那覇市であったが、
今日では県の政治・経済・文化の中核地として再興された。
首里城も復元されて県民の心の拠りどころとなっている。

中部地域と帰属市町村
浦添市 宜野湾市 沖縄市 うるま市 読谷村 嘉手納町
北谷町 北中城村 中城村 西原町の4市・3町・3村がある。
中部地域総面積280km²、人口約58万人
別称で中頭(なかがみ)地区とも云う。

米軍基地が最も集中している地域である。
極東最大の空軍基地と云われる嘉手納米軍基地がある。
その施設総面積は約19.95km²に広がり、
嘉手納町・沖縄市・北谷町の3市町にまたがる。
規模からして東京・羽田空港の約2倍とも云われる。
基地内には約3,500m滑走路2本を備えた軍用飛行場がある。
最近の動向は東シナ海や北朝鮮情勢が穏やかでない故か、
偵察機などの離着陸が騒々しい状況である。

沖縄市コザの名称で親しまれていた。
1974年に名称変更した。
且つては基地の街コザのタウンイメージがあった。
それこそ街の表情が夜と昼では反転状態を映じていた。
1975年まで続いたベトナム戦争の期には、米軍人・軍属
のみでなく、東南アジアや諸外国の商人達が通りを闊歩していた。

北部地域と帰属市町村
名護市 恩納村 宜野座村 金武町 今帰仁村 本部町
国頭村 大宜味村 東村の1市・2町・6村がある。
北部地域総面積764km²、人口約12万人
別称で国頭(くにがみ)地区とも云う。

地域の中央を山峰が走り自然と水源地に恵まれている。
その昔は北部全地域を指して山原(ヤンバル)と称した。
時代の流れとともに都市化現象が進んで、
今日では国頭村 東村 大宜味村を指して称される。

この地域の森には貴重で稀少な動植物が多く生息している。
多種多様な生物種を擁するところから 東洋のガラパゴスとも
称される。
恩納村から名護市に至る西海浜沿いには大型リゾート施設が
数々建立している。
2000年7月に催行された九州沖縄サミットG8首脳会合会場
となった万国津梁館がある。

〓沖縄本島を散策〓
本島を南から北へ主だったポイントを散策しましよう!
下記のポイントが映像からご覧になれます。

南部地域のビユーポイント
1.首里城 2.国際通り 3.牧志公設市場 4.平和の礎
5.垣花樋川 6.斎場御嶽 7.首里城 新春の宴 8.糸満ハ-リ-

中部地域のビユーポイント
1.中城城跡 2.ゲ-ト通り 3.アメリカンビレッジ 4.やちむんの里
5.残波岬 6.全島闘牛大会 7.沖縄全島エイサ-大会

北部地域のビユーポイント
1.沖縄美ら海水族館 2.今帰仁城跡 3.比謝大滝
4.慶佐次湾のヒルギ林 5.辺戸岬 6.ピ-ジャ-オ-ラセ-
7.塩屋のウンガミ
クリック して↓映像をご覧ください
◇南部地区散策◇中部地区散策◇北部地区散策

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