凪さの島々

沖縄諸島の歴史,生活文化,自然,伝統工芸,伝統音楽を見聞する.

エイサー

沖縄諸島のエイサー(3)

美ら島沖縄
     ( 画像; エイサー太鼓 )
エイサー太鼓
【 沖縄の祭り 】
『 エイサー 』を探訪しましょう。

〓エイサーの伝承は青年会活動〓
エイサーは、元来、お盆期間に各家庭の無病息災、家内安全と繁盛を祈り、祖先の霊を供養する儀典として催行される。
各集落・地域によって、その形態に特異性を有して伝承されている。
メンバーは、基本的に該地域の青年男女で構成され、青年会のボランティア活動で催行される。
ところによっては、巡回する各家庭から「志の寄付金」を頂いて、活動資金に充てるグループもある。
青年達は、毎年お盆の2ヶ月程前になると、勤めを終えた夕刻から最寄の公民館や広場に集って毎日の稽古に励む。
その時節は、夕暮れ時のここかしこから太鼓の音が響いてくる。

〓エイサースタイルの変遷〓
本島中部地域は青年会のエイサー活動が最も盛んな所である。
本年(2009年)で54回の開催となった全島エイサーまつり/旧:全島エイサーコンクールは、コザ市(現:沖縄市)の青年会が中心になっての取り組から始まった。
毎年お盆明けの最初の週末に、各地から選抜されたエイサー隊が一堂に集いて、互いの演舞を競い合うイベントである。
今では、県外や海外からもエイサー隊が参加するようになり、県下最大のエイサーイベントに成長した。
毎年20万人余の観客で賑わう沖縄の夏の風物詩と呼ばれる。

全島エイサーまつりを重ねる毎に、伝来のエイサー形態が、その隊形、振り付け、衣装、大・小道具、音出しなどに変化を見せ始めた。
祈願を旨とするエイサーから観せるエイサーを意識したパフォーマンスの採り入れである。

各集落・地域の伝統エイサーを継承するグループは、基本スタイルを護持しながらも、隊形、振り付け、鳴り物などに多少なりの新たな趣向を採り入れるようになった。
また、琉球國まつり太鼓グループに代表される如く、祈願のエイサーから離れて、完全に観せるエイサーに徹したエンターティメントとしての創作エイサーも現れるようになった。

●琉球國まつり太鼓
伝来の太鼓エイサーを基本にしたフォーメイションの創作舞である。
空手の型を採り入れ、独創性豊かで勇壮な舞は大人気である。
1982年、沖縄の若者達により太鼓集団として結成された。
沖縄県に本部を置いて、県外・海外に数多くの支部を設けている。
その活動概要を
琉球國まつり太鼓 のホームページから抜粋して複写掲載します。
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2009年現在の会員数は
沖縄県内に
名護、宜野座、うるま、沖縄、西原、与那原、那覇、豊見城、糸満、石垣、宮古の11支部約300名、
県外では
北海道、長野、東京、埼玉、神奈川、岐阜、愛知、栃木、滋賀、
京都、奈良、兵庫、大阪、香川、愛媛、徳島、広島、長崎、 熊本、
天草、福岡、柳川、大分、佐賀、宮崎、鹿児島(沖永良部)、
そして海外では
アメリカ(ワシントンD.C、ロサンゼルス、テキサスヒューストン、ノースカロライナジャクソンビル、ハワイ)
ブラジル、アルゼンチン、ペルー、ボリビア、メキシコにも支部がある。
総勢約1500名あまりの世界規模での広がりを見せています。

活動も沖縄県内のイベントはもちろん、県外、海外でも活動を広げ、
東京国立劇場やニューヨークカーネギーホールといった大舞台をはじめ、ヨーロッパ、オーストラリア、シンガポール、インドネシア、中国、台湾など国際的にも活躍しています。

98年2月には「長野オリンピック文化芸術祭」、
同年8月にはアルゼンチンにて開催された
「沖縄県人南米移住90周年記念祭」にも沖縄から30名のが参加

さらに2005年8月には、日本では35年ぶりとなる国際博覧会
「愛知万博 愛・地球博」の公式イベント”地球大交流祭”に、
7日間の日程で参加。 愛・地球広場のメインステージにて
連日1時間にわたる公演を行いました。
会員一同
沖縄の文化を世界にと、新たなる感動の創出に取り組んでいます。
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〓沖縄で毎年開催される主なエイサーイベント〓
島や地区単位での開催は数多くあります。
秋の運動会では、多くの学校がプログラム化しています。
参集範囲を広げた大規模な催行物としては、次のイベントがある。
★夏祭りin那覇 1万人のエイサー踊り隊
・会場:那覇市国際通り(約1.5km)
・時期:八月上旬
県内各地の伝統エイサー、創作エイサー、子供エイサー、各種団体のエイサーなどが出演する。
県外から
よさこい踊りよさこいソーラン踊り隊などもゲスト出演する。
また、海外からのエイサー隊も出演する。
総じて1万人の踊り隊が国際通りを舞いながら練り歩く。
★青年ふるさとエイサー祭り
・会場:各地の総合運動公園(年毎に決める)
・時期:八月下旬
県青年連合会主催で、各地の青年会エイサー隊が一堂に集う。
★全島エイサーまつり
・会場:沖縄市総合運動公園
・時期:お盆後の週末3日間(沖縄のお盆は、旧暦7月13~15日)
県内各地選抜の青年会や団体のエイサー隊が意気盛んに舞う。
全国の姉妹都市や協賛団体からのゲスト出演もある。
琉球國祭り太鼓や子供エイサーなども出演する。
ここでも、世界の沖縄県人会ネットワークを通しての海外グループの参加がある。
また、在沖米軍基地に駐留する軍人メンバーの参加もある。
県内で最大規模のエイサーイベントである。
エイサー編 The End!
クリック して↓映像をご覧ください
◇琉球國まつり太鼓

沖縄諸島のエイサー(2)

美ら島沖縄
     ( 画像; 沖縄エイサー )
エイサー祭り
【 沖縄の祭り 】
『 エイサー 』を探訪しましょう。

時を経るなかで、隊形、振り付け、衣装、大・小道具、音出しなどに趣向性を採り入れて変化して来たエイサーのスタイル沿革を概述してみます。

〓エイサーの形態〓
演舞の形態には、【手踊りエイサーと太鼓エイサー】がある。
●手踊りエイサー
踊り手の輪の中で唄い手が唄い、それに応えて踊り手が囃子を唄う。
三味線の伴奏を付して男女で踊るのと、手持ちの締太鼓で調子音を入れながら女性のみで踊る形態がある。
●太鼓エイサー
唄・三味線の演唱を付して、踊り手が太鼓をバチで叩きながら舞う。
用いられる太鼓の形は、大太鼓/締太鼓/パーランクーの3種がある。
太鼓を持って舞うのは基本的に男性である。
太鼓を纏いながらの舞いは、身体を捻る・しゃがむ・飛ぶ・回転するといった激しいアクションをみせる。
男女混成隊形で舞う場合の女性の役目は、手踊りと囃子唄いにある。

現代では、男女混成隊形で舞うのが殆どであり、その形態を指して
「エイサー」と呼んでいるのが一般的である。

集落や市街地の路地を、多人数の青年男女が隊列を整えながら、唄い、舞い、鳴り物入りで練り歩く光景は優雅であり壮観である。

≪エイサーで使用される道具・衣装など≫
旗頭
隊の地元である集落・地域名を染め入れた旗
隊の先頭に掲げて、「我らここに在り」を誇示する。
大太鼓
直径:50cm 丈:50cm程の木胴筒に両面革張り
力強さを響かせながら隊の先陣を練る。
締太鼓
直径:30cm丈:10cm程の木胴筒に両面革張り
リズム感と躍動感のある響きで隊を導く。
パーランクー
直径:20cm程の木胴筒に片面革張り
リズミカルで軽快な響きで隊の躍動感を醸す。
その他の小道具
隊によっては四つ竹、手拭、扇などを採り入れている。
地方(ぢかた)
唄・三味線を演唱する。
演唱される曲目は、基本的に地元伝来の地唄を奏でる。
次々に繰り出す演唱が太鼓舞いや踊り手に快活感を注ぐ。
沖縄民謡は、唄と三味線が絃声一体になって演じられ、
【唄三味線の音楽】と云われる。
その弾き語りのスタイルは、現在でも伝承されている。
衣装
男性:木綿の白長袖シャツに白股引き、脚絆など
女性:浴衣や絣の装い。
その昔の衣装は、男女ともに芭蕉布織の絣に鉢巻きスタイルであったが、時を経るにつれて赤 黄 紫 黒などの華美な色合で織り成す衣装へと変わってきた。それは、琉球王朝時代の宮廷で重用された色彩に因むのではとも伝わる。

≪京太郎≫(方言:チョンダラー)
隊列の中で、顔は白塗、目眉を黒塗囲み 口を紅塗にして滑稽な振る舞いをする道化役。
その滑稽な動きのなかに、踊り手を鼓舞して盛り上げたり、隊列を整えたりする役目をも果たしている。
ときには、短い口上や滑稽踊りを披露するなどして、観客を隊に招き寄せたりする。
道化役を演じながらも、エイサー隊の重要な先導役を担っている。
チョンダラーは、多人数構成隊形の場合に配属するのが一般的である。

★以前は手踊りエイサーが主流であったが、近年では多人数構成で舞う太鼓エイサーのグループが多くなっている。

〓特異性を伝承するエイサー〓
エイサーは、一般的に男女混成で踊られるが、女性だけ又は男性だけの構成隊形を伝統的に継承している集落・地域がある。

●女性だけのエイサー
沖縄本島北部地域の数箇所の集落で伝承されている。
代表事例として、国頭村与那(よな)集落に伝承される【与那エイサー】を下掲の映像からご覧になれます。
古来から祭事の司りは、女性によって執り行なわれる慣習に基づいているそうです。

●男性だけのエイサー
沖縄本島中部地域の数箇所の集落・地域で伝承されている。
代表事例として、嘉手納町千原(せんばる)郷友会に伝承される
【千原エイサー】を下掲の映像からご覧になれます。

千原集落は嘉手納町に隣接する北谷町に帰属する字区であった。
戦後の米軍嘉手納飛行場敷設のため立ち退きとなった。
各地に散らばった住民達は嘉手納町に公民館を建立し、そこを拠点にして旧来住民間の交流を図るとともに文化継承活動などを行ってきた。
【千原エイサー】の存続は代表的活動の一端である。
今では、沖縄を代表するエイサーとして知られるようになった。

千原は首里王府の士族によって開墾された村落であると伝わる。
そこに居住した士族達がエイサーに興じた。
士族達はエイサーに女性を参加させなかった。
その慣習の名残りが現在まで続いている、珍しいエイサーである。

エイサ~・エイサ・サ~アッサッ!次回に続く
クリック して↓映像をご覧ください
◇千原エイサー
◇与那エイサー

沖縄諸島のエイサー(1)

美ら島沖縄
     ( 画像; 沖縄エイサー )
Nemo2
【 沖縄の祭り 】
『 エイサー 』を探訪しましょう。

〓エイサーの起源と歩み〓
エイサーの沿革
沖縄のお盆は旧暦7月13~15日にとり行われる。
お盆期間には御祓いの舞として欠かせないエイサーが興じられる。
エイサーは各家庭の無病息災、家内安全と繁盛を祈り、祖先の霊を供養する儀典として催行される。

集落の若者(男女)達が 唄って囃して太鼓を打ち鳴らしつ、種々の隊形を組みながら各戸を巡回し、戸口や庭先で舞を披露する。

エイサーの構成には各集落・地域によって固有のスタイルがある。
その伝承に勤めながら催行されているのが一般的である。
ところが近年、
毎年のお盆行事を済ませた後に全島エイサーコンクールなるイベントが開催されるようになって、エイサースタイルに変化が現れてきた。

コンクール出場に向けて、意欲的な若者達は我が陣地に栄耀をもたらさんがため、伝承スタイルに拘りながらも、舞の隊形や衣装などに趣向を凝らした創作を採り入れるようになった。

コンクールは年毎に盛況を博すようになって、沖縄の夏の風物詩と呼ばれるまでになった。
また、観光客の観覧数も増大するようになって、エイサーが県外へ伝播する広がりをみせている。
他都府県の学校運動会などには、学童達が舞うエイサーをプログラムに採り入れている場合が有るとも伝わる。

本来はお盆期間の催行に限られる舞であったが、今では平常時に多くのイベント会場やリゾート施設などで舞われるようになった。
それに伴って、
伝承スタイルを離れて集客効果を意識した衣装や太鼓のパフォーマンスを採り入れ、観せるためのオリジナル・エイサーも出現している。

念仏踊り(エイサー)の起源
エイサーの起源には諸説あって定かではない。
17世紀初頭、沖縄で東北地方出身のお坊さんが浄土宗の布教活動を始めたと伝わる。
そのお坊さんが浄土念仏を布教する為、東北地方で伝わるジャンガラ踊りをヒントにした念仏踊りを創ったやに伝わる。
その唄と踊りがエイサーの原形であると云う説が有力のようである。

念仏踊りの伝播
首里王族と念仏詠唱
お坊さんの評判を伝え聞いた首里の王家や貴族の間で、お坊さんを屋敷に招いて念仏詠唱を詠じらせたそうです。

京太郎達と屋敷町
18世紀中頃から、首里の屋敷町でもお盆の期間に念仏僧を招いて先祖の供養を行なう儀式が催行されるようになったそうです。
形式は門付唄と念仏唄だけで詠じられたそうです。

そのうち屋敷町からの要請が多くなり一人では応えきれなくなった。そこで、お坊さんは京都から数名の太郎を招いて念仏僧の役を担わせた。
その念仏僧のことを京太郎 (方言:チョンダラー) と称する。

京太郎達の活動
京太郎達は首里の町に留まらず他の村々を渡り歩いて念仏踊りを広めたそうです。
首里王府はその活動を黙認していた。
正月には門付けの祝詞を、葬式では鉦や太鼓を打ち鳴らして念仏を唱え舞う。
又お盆には各戸を巡回して祖先の霊を供養し無病息災や家内安全 ・繁盛を祈願して念仏踊りを詠じた。
京太郎達の振る舞いは村人達の評判を呼んだそうです。

★琉球王国の崩壊と文化活動
1871年に明治政府の廃藩置県施策により琉球王国は日本国内の藩の一つに位置づけられた。
それから間もなくの1879年(明治12年)に沖縄県となった。
ここにおいて、尚巴志国王(1429年即位)から約450年間存続した王朝統治の琉球王国は幕を閉じることになった。

明治代の沖縄は統治体制の変革に伴う波乱の時代であった。
文化活動では、これまで王府に庇護されてきた職人・芸人達が自活の道を歩まざるを得なくなった。

彼らは王府内で留まっていた文化諸式を一般庶民に披露し広める事で活路を見出すようになった。

それらの諸式には、舞踊、歌謡、音楽、染織物、焼き物、漆器、料理など多岐のジャンルがあった。
高度な技に裏打ちされた作品・製品は、王府・貴族の司事や外来客の歓待時に活用されてきた。

元王府直属の職人・芸人達が一般庶民相手に繰り広げる美技は、初めて触れる庶民達の感動を呼び起こし評判は大きな広がりを見せた。

若者達と文化活動の広がり
琉球王國の崩壊に伴って、これまで王府内に留められていた文化的産物の全てが露出され、一般庶民でも直に触れる事ができた。
庶民の間では文化的産物に興味を示す人々が多くなった。
なかんずく、最も手近に関心を持ったのが舞踊、歌謡、音楽と云われる。
特に若者達の中からは、観るだけに止まらず自らが演じ創作する活動へ積極的に参画する人々が現れた。

集落・地域にあっては、それまで京太郎達が担っていた念仏踊りなどを若者達が代行して演じるようになった。
従来から地元の祈願式典で執り行なわれてきた祈りの舞に、伝来の民謡などを採り込むスタイルも創出した。

念仏踊りでは、振り付け、衣装、小道具、音出しなどに趣向を凝らした独自スタイルも創作された。
この代に、若者達によって創作された念仏踊りの新たなスタイルが、各集落・地域の特性スタイルとなって今日まで伝承されていると云われる。

若者達の地域活動は念仏踊りつまりエイサーを県内全域に広める礎となった。

地域で育まれるエイサー
集落・地域によって隊形、振り付け、衣装などに特性がある。
また、冠に集落や地域の名を付して称されるのが一般的である。
園田エイサー千原エイサー平敷屋エイサー屋慶名エイサー
喜屋武エイサーなどがよく知られている。

エイサーの語源
エイサーの語源は諸説あって定かではない。
現代ではお盆の時に現世に戻ってくる祖先の霊を供養する為、村々の若者達が唄と囃子に合わせて踊りながら道を練り歩く念仏踊りの事を称してエイサーと呼ぶのが一般的である。
地域によっては七月舞念仏廻りとも呼ばれる。
エイサ~・エイサ・サ~アッサッ!次回に続く
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◇園田エイサー
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