( 画像;竹富島の村落 ) |
【 沖縄の離島 】 『 竹富島 』を見聞しましょう。 〓竹富島〓 竹富島(たけとみ/面積;5.42k㎡人口;330人余)は 沖縄本島(那覇市)から南西方向約417kmに位置する。 輪郭は周囲;9.2km/標高;21mの円形状で平坦地である。 交通アクセスは石垣島から約5.7kmの海上を高速フェリーが 頻繁に航行している。(所要;10分) 行政管区は竹富町役場が管轄する。 ◆竹富町の管轄域 竹富町役場が管轄する圏域には10の有人島と2つの無人島 がある。 ≪有人島≫ ・竹富島、西表島、由布島、小浜島、黒島、波照間島、鳩間島 嘉弥真島、新城島(上地)、新城島(下地) ≪無人島≫ ・内離島、外離島 ※参照 沖縄諸島沿革図 有人島に限れば 町管轄域は総面積:330.16K㎡ 総人口:4,100人余ある。 群成する島々は夫々に自然的文化的な特異性を持っている。 なかでも、西表島は最も特異性に富む島である。 沖縄本島に次いで広大な面積(289.27K㎡)を有すも、 その90%は亜熱帯の原生林で覆われている。 山腹が海岸沿いの間際まで迫っている状態が殆どであり、 平地状の箇所は僅かである。 その狭い空間を活用して 1,194世帯2,300人余が暮らしている。 竹富圏域の島々が発祥の地と伝わる琉球染織物の「絣」や 焼物の「パナリ焼」などはよく知られている。 また、古代の庶民生活を詠った民謡や舞踊の演目曲目が数多 く現存している地域である。 琉球舞踊や民謡の分野では古琉球の文化遺産とされる。 古代史における琉球各地の統治は、地方豪族達による群雄割 拠の時代が続いた。 豪族権力の離合集散が繰り返されて不安定状態にあった。 15世紀初頭になって豪族;尚 巴志が各地の豪族を平定し 統一琉球王國を創設した。 そして王朝制を敷設して首里城を王府とした。 統一琉球王國初代王には尚 巴志が就任(1429年)した。 ところが、八重山や宮古諸島までは未統括状態にあった。 9代目国王:尚 真(1477年即位)になって八重山・宮古諸島の 平定を成し、ここで初めて首里王庁を頂点とする中央集権国家 の確立に成功した。 以後の八重山諸島を管轄する役所は竹富島に置かれた。 当時の役所「蔵元」跡が今も残っている。 竹富島には古琉球の文化史跡や資料が数多く現存する。 ★竹富町圏域のアクセス 少ない人口の島々で構成される行政管区である故、役場本庁 舎は石垣市に建立している。 各島々間のアクセスは高速フェリーが頻繁に往来している。 フェリーは石垣港をハブセンターとして島々を往来している。 日常品などのお買物の殆どを石垣島で購入する状態である。 ※役場本庁に勤務する職員の殆どが石垣市に住所登録しているため、 竹富町が執行する選挙の投票権が無いそうです。 ★伝統的建造物群保存地区に選定された竹富島の集落 竹富島の町並景観はサンゴ礁の石積垣と赤瓦の甍が連なり、 白砂で敷きつめられた道の沿いにはブーゲンビレアが咲きゆれ 散策すがらに心の和を覚える。 老人会がボランティア活動で率先的に毎朝の街路掃除を行って いる。 白砂の道の毎日が、チリひとつ無く色々な花が咲きゆれ るプロムナードです。 住民達は古き好き町並みを残す活動に一生懸命である。 役場は集落全体を町並み保存地区に指定している。 国からの【重要伝統的建造物群保存地区】に選定された。 ★竹富島の海浜 浅瀬に囲まれた竹富島にはコンドイ浜、カイジ浜や星砂の浜 などエメラルドグリーンの海原が広がる海辺がある。 四方は西表島 小浜島 黒島や石垣島の島影が眺望できる。 赤瓦の甍、白砂の道、サンゴ礁の垣根が連なり、 亜熱帯の花々が和やかに戯れる。 星砂の煌めく海辺は美しく広がるエメラルドグリーンの海原。 訪れる人々に心地よい涼風をそそいでくれる。 ※参照 竹富島のビーチ一覧にリンク ●注目したい島 ☆由布島(ゆふ/面積;0.15k㎡ 人口;17人)は 西表島南海岸から約1kmの沖合いにある。 マンゴー栽培が盛んな海抜1.5mの小島。 西表島に隣接する海は遠浅が広がり、満潮時でも水深1m ほどしかない。 その間を水牛車に揺られて楽しむ水牛車観光は知られる。 ☆波照間島(はてるま/面積;12.77k㎡ 人口;560人余)は 日本最南端に位置する。 南十字星などを望遠する国立の「星空観測タワー」がある。 |
クリック して↓映像をご覧ください |
◇竹富島 |
竹富島 |